8. 軍縮交渉を動かす秘密の超兵器
「トーマス・ベアデン中佐のゼロポイント・エネルギー講義シリーズPart2 (2024/3/30)」https://youtu.be/L419nFNmg_4?t=892
レイチェル・マドー:なのでこれは「スーツケースに放り込んで、飛行機に飛び乗って、アメリカへ帰る」というわけにはいかないのです。アメリカとチリの当局者は、イオン化されたプールに保管されていたウランラックを取り出さなければなりませんでした。
その後それは、特別に設計された容器に移し替えられました。輸送中のウランを安全に保管するため、その容器は8インチの鉛と鋼鉄で内張りされていました。わずか40ポンドのウランの安全のために、60トンの金属が使用されたのです。梱包や取り扱いを間違えれば、自然発生的に核連鎖反応を引き起こす可能性があります。
タイム誌によれば、巨大地震が発生したのは、チームがウランをこれらの容器に入れ、1500ポンドの保護衝撃リミッターで取り囲んでから、わずか12時間後だったということです。
フォーブス:何ですって?...ちょっと待ってくださいよ。アメリカの当局者がチリに行ったのは、40ポンドの不安定なウランを、なんらかの理由で、何トンもの鉛や他の金属の中に積み上げて輸送する必要があったからで…そして、それを取り出した12時間後に、過去50年間で最大の地震がその場所を襲ったってことですか?地震を予知できたのでしょうか?かなり奇妙なタイミングですね。
レイチェル・マドー:地震は大丈夫でした。もし、自然発生的な核連鎖反応が起きていたら、おそらく今頃はニュースになっていたでしょう。しかし、科学者たちが核の極秘貨物を積み出すために使おうとしていた港が、地震によってまったく使えなくなりました。
そして、チリの原子力機関のトップが、自らウラン採掘現場まで車を走らせ、安全性を確認するという偵察任務の後、科学者たちは夜を徹して新しい脱出ルートを探し、当初予定していた港から北に50マイル離れた港を使うことに決定したのです。
そして、地震で壊滅した電氣も通っていない田舎を抜け、夜通し、新しい港に向かう車列が出発しました…このウランを安全に国外に持ち出すという必死の試みです。
その後の大きな余震にもかかわらず、ウランは無事に新港に到着しました。しかし、さらなるドラマが。 使用されていたクレーンの一つが…これなんですが、この不安定な高放射性物質をアメリカ船に吊り上げるために使われていたクレーンのひとつが故障し、コンテナが甲板の数メートル上で制御不能になったのです。
彼らは、最終的には制御を取り戻し、ウランは特別に装備された二重構造のアメリカ船2隻に分けて積み込まれました。しかし、どちらの船にも、爆弾を作るのに十分な量の高濃縮ウランは積まれませんでした。船はその後、沿岸警備隊に護衛されながら、2週間半かけて米国に向かいました。それは…。
フォーブス:爆発のリスクがないのなら、なぜこれほど厳重に保護し、鉛で固めたりするのでしょう?兵器化できないただの化学物質なら、なぜこれほどの秘密主義や防衛策をとるのでしょうか?唯一の論理的結論は「兵器化される危険性がある」ということです。そうでなければ、このようなハイリスクなものを扱わないでしょう。
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